目に見えない世界を信じる【後編】

WEB法話

前回の記事では水木しげる先生の「幸福の7か条」から「目に見えない世界を信じる」を紹介しました。

今回はその後編です。

「目に見えない世界を信じる」と言う感性は少林寺拳法でも大切にしています。

少林寺拳法の思想の中心に「ダーマ」と言うのがあります。
「ダーマ」とはサンスクリット語(古代インド語)で「法(法則)」とか「真理」と訳されています。

世の中のあらゆる出来事はある種の「法」に則って存在しています。

例えば花の種を撒いたとしましょう。
成長する条件が整っていれば、種は成長してやがて花を咲かせる事でしょう。
条件が整わなければ種は成長せずに腐ってしまうかも知れません。

当たり前のことなのですが、そこには「法」が関わっていると考えられるのです。

つまり物事は「法」に従って「成るように成る」という事です。
成るように成らないのはどこかに原因が有るのです。

この「法」と言うのは目に見ることは出来ません。
物理の法則のように数式によって表させるものもありますが、ほとんどは目に見ることは出来ないのです。
でも存在は何となく感じることは出来ます。
あるいは感じることが出来る感性が大切だと考えています。

我々少林寺拳法の拳士は、少林寺拳法の修練を通じて見ることの出来ない「法」の存在を体感しようとしているのだと僕は考えています。

初めは出来なかった技が指導を受けて練習をしているうちに出来るようになってくる。
そう言う成功体験を繰り返す事で「法」の存在を体感します。

「法」を体感できるようになると、少林寺拳法の技が習得出来るのと同じ様に勉強や仕事も正しく努力すれば良い結果が出るのではないかと考え得る事が出来るようになる。
その繰り返しが「自信」につながるのではないかと思います。

ですから少林寺拳法は上達する事が目的なのではなく「法」を体感するための「手段」であると考えています。
そこに「行」としての少林寺拳法の意義があるのだと思うのです。