「自分の可能性を信じる」ということ

WEB法話

なんだか分かるような分からないような、そんな話を聞くと「禅問答のような話だなぁ」などと言う事がありますよね。
ありますよね。
あるんです。

禅問答というのは「禅僧が悟りを開くために行う問答。修行者が疑問を発し、師がこれに答えるもの。転じて、真意がとらえにくい問答・会話。」なんです。(デジタル大辞泉より)

悩みを相談に来た弟子に「その悩みをここに出してみろ」って言ってみたり、はためいている旗を見て「旗が動いている」「いやいや風が動いている」「いやいや動いているのはお前たちの心だ」なんて言ってみたり…

日常の会話でこんな事を言ってみるとイラっとされること請け合いですのでやめておいた方が良いです(笑)

 

さて、以前も以前、25年程前に読んだ禅問答の本に紹介されていた問答が今でも心に残っています。

ある僧が師に尋ねました。
「犬のようなものにも仏の性質があるのでしょうか?」
「無い」
「なぜ無いのでしょうか?」
「犬は自分に仏の性質があることを知らないからだ」

後になって調べてみるとこの問答は「狗子仏性(くしぶっしょう)」という有名な問答なのだそうです。
いろいろな解説や解釈があるようなのですが、初めて出会ったこの文章が心に残っています。

 

少林寺拳法の創始者である宗道臣は、人間は「成長する可能性のある種子である」とし「自分の可能性を信じろ」と繰り返し説いていました。
この言葉は何事にも自信を持てなかった自分にとっては拠り所となる言葉になりました。

しかし、ただ「自分の可能性を信じろ」と言われたからと言って簡単に信じることは出来ません。
だから我々は少林寺拳法の修行を通じて自分の可能性に気付き、育て、信じる作業をしているのです。

少林寺拳法の修行は科目表に示されたカリキュラムに沿って初歩の技から上級の技へと段階をおって進めていきます。
他人との比較ではなく、過去の自分と比べて上達を実感していく。
しかも仲間と協力し、上達を共に楽しみながら。
そんな修行を繰り返しているうちに少しずつですが確かな自信を身に付けることが出来ます。

自信とは自分の可能性を信じること

少林寺拳法の修行で得た自信は他の分野へのチャレンジにも繋がるはずなのです。

こんな修行形態が、少なくとも自分には合っていたのでしょう。
こんなに長く続けることになってのですから。