やられたら、やりかえす? 愚か者だ! もしも理不尽な目に遭わされたらどうする?
鳥取県米子市で少林寺拳法を指導している米子祇園道院、道院長の森崎です。
このブログではあなたの「自分を変えたい」と言う想いをサポートする記事を中心に配信しています。
今回は「やられたら、やり返す」のは愚か者だという話です。
ドラマ「半沢直樹」で「やられたら、やり返す、2倍返しだ!」というセリフが有名になりましたが、そんなことをしても意味がないし、自分が損をするだけだという内容です。
どうぞ最後までお読みください。
理不尽な目にあうことってあるよね
さて、生きているといろんなことが起こります。
どこかの誰かから言われのない批判をされたり、いわゆるマウントを取られたり、あからさまに罵られたりという理不尽な対応をされることもあります。
もしもあなたが明らかに相手に対してひどく失礼なことをしたとしたら、あるいはそういう目にあっても仕方がないことかもしれません。
しかし、そうでもない限り他人に対して理不尽な対応をすることは許される事ではありません。
仮にあなたに非があるとしても冷静に話をするのが人としての品格というものです。
しかし、中にはそのような品格を持ち合わせていない残念な人も少なからず存在するのも事実です。
なぜ理不尽な対応をしかけてくるのか
何かにつけ人を批判したり、マウントをとってきたりする人は自己肯定感が低い傾向があると言われています。
自分の価値を低く見積もっているから他人をより低い位置において上から目線で対応することで自分の優位性を確認したい心理が働いているようです。
恥ずかしながら自分自身も過去にそんな時期がありました。
僕はどういう訳か他人から軽く見られる傾向があるようで、中には無遠慮にひどい言葉を投げかけてくる人もいました。
後輩ができて自分の立場が少し上になると、自分がされたことと同じことをその後輩にしてしまったことがありました。
その時はそうする物だと考えていたのですが、今になって思い返すとそれはまさに自己肯定感が低い故の大きな過ちでした。深く深く反省しています。
理不尽な対応をされた時にどうするか?
では、もしもあなたが理不尽な対応をされたらどうしたらいいのでしょうか?
僕は相手の言わんとしている本質の部分だけを受け止め、あとの言葉は聞き流すことにしています。
その本質の部分に理があれば受け止め、理がなければそれも流してしまいます。
流しきれなくても、できるだけ流すように努めています。
釈尊のエピソード
ここで僕が好きな釈尊のエピソードがあるので紹介します。
ある時、異教徒の若者が釈尊に対してこれ以上ないくらいの悪口を投げかけます。
それを釈尊は黙って聞いているだけです。
やがて異教徒の若者は「これだけ言われても怒らないのか?」と釈尊に尋ねます。
釈尊は「あなたが贈り物をして相手がそれを受け取らなかったら、その贈り物は誰のものか?」
と尋ね返しました。
若者は「相手が受け取らなかったら、それは贈ろうとした自分のもの…」
「怒りに対して怒りで返すのは愚か者のすることなのだ」
その釈尊の言葉に若者は自分の非礼を詫び釈尊の弟子となったそうです。
「やられたら、やり返す」は自分が損をするだけ
理不尽な対応をされたら誰だって腹が立ちます。
不快な気分にされた分、相手にやり返したくなるのも自然な感情です。
しかし、だからと言って感情にまかせてやり返したら、あなた自身も相手と同じレベルに堕ちてしまうことになります。
それは相手の思う壺にハマったことにもなります。
自ら相手と同じレベルに自分を堕とす必要は全くありません。
釈尊のように相手の言葉を受け取らず、さらりと受け流してしまえばいいのです。
難しいかもしれませんが、意識して取り組むと少しずつ出来るようになります。
やり返さずとも
もしもあなたがやり返さなくても、いつかその人は自らの行いの報いを受ける時がくるのでほっといたらいいのです。
でも、最も理想的なのは「その人が報いを受けないように救ってあげること」だと思います。
いつかその境地に達することが出来るように精進したいと思います。
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