日常生活での護身術を考える

WEB法話

今回は日常生活に必要な護身術について考えてみたいと思います。

▪️いわゆる護身術のイメージとは

一般的に「護身術」と言うと悪意を持った人からの暴力から身を守る技術と言うイメージがあります。
実際に護身術を紹介する本や映像はそんな内容が大半です。
確かに何者かからの暴力からは身を守らなければならないですし、自分よりも弱い立場の誰かを守る必要もあります。
その為に護身術を身に付ける必要はあるでしょう。

でも「護身術」ってそれだけなんだろうか、と僕は常々考えているわけです。

▪️少林寺拳法の技術を護身術として使ったこと、あるにはあるけれど…

僕は少林寺拳法の技術を使って危ない状況から脱出できた経験が何度か、あるにはあります。

①雑踏で靴が当たったと言って凄まれたり
②変なオジさんが向かってきたり
③詳しくは言えないけれど、叩かれたり
④呼び込みのお兄さんにお店に連れ込まれかけたり

幸いにもこんな程度ですね。

①や②は謝ったり、逃げたりして大きなトラブルにはなりませんでした。
③や④は剛法の受けやかわし、柔法の抜き技で対処することができました。

護身術は知っておいた方が何かの時に役に立ちますが、普通の生活を送る中では実際に使う場面は少ないんじゃないかと思います。

そして「身を守る」という事を考えた時に、護身術よりももっと大切なことがあるんじゃないのかと思うのです。

▪️危機意識の低い人たち

先日、すっかり日が暮れた時間に車を運転して帰宅していた時のことです。
街灯が少ない道路を走っていたら急に目の前に人影が現れてびっくりしました。

実はこんな経験が何度かあります。

多くの場合黒っぽい服装で散歩をしていたりジョギングをしたりしている人でした。
夜道を黒っぽい服装で歩かれると忍者の様に闇に溶け込んで姿を見つけにくいのです。
忍者だったら別ですが、そんな時は反射材や懐中電灯を使ってもらいたいと思うわけです。

車を運転していると、脇道から自転車が飛び出してきたり、無灯火の自転車が急に現れたり、その他にも「危ないなぁ」とヒヤリとする場面がたくさんあります。

そんな経験をする度に危機意識の低さに呆れるのですが、僕自身も万全という訳ではなくて「ついうっかり」ということもあるので反省をしなければなりません。

自分自身の反省の思いを込めながら、普段から危機意識を持って生活したい、と改めて思うのです。

▪️護身術としての武道の意義

武道を通じて身につけた護身術は一生使わないに越したことはありませんし、多くの人は使う機会はそんなにないと思います。
それでも武道を学ぶことを通して危機に対する感受性を高める事もあるので、武道を学ぶ価値はあると思います。
今の時代に武道を学ぶと言うことは、もっと別の意味や価値があると思います。

▪️本当に必要な護身術とは

ところで、護身術とは単に「誰かからの暴力から身を守る技術」というだけではないと思います。
「誰かからの暴力」よりももっと身近な脅威があるんじゃ無いのでしょうか?
「脅威」というと大袈裟ですが「リスク」と言い換えるとちょっと身近に思えます。

例えば
・経済のリスク
突発的なトラブルによる支出。突然の失業。など
・身体や心の健康のリスク
急な怪我や病気。老化による体力の低下。気分障害やうつ病。など

他にも自然災害やご近所トラブルなど、様々なリスクが僕たちの生活のすぐ隣に潜んでいます。

武道を教えている僕が言うのも何ですが、「暴力からの護身」なんかよりも何倍もこっちへの備えの方が大切でしょう。

ぼーっと生きてんじゃねーよ!

ってチコちゃんに叱られない様に、予防できるものは予防して、もしもの時の備えをする必要があると思います。
これも広い意味での護身術だと思いますが、いかがでしょうか?

▪️まとめ

護身術はそんなに使う機会はありません。
武道、とりわけ少林寺拳法を学ぶ意味はもっと別のところにあります。
それより身近な危機にたいしての意識を普段から持って生活しましょう。
そしてもっと大きな生活への脅威から身を守る為の備えをしましょう?