師弟関係を考える

WEB法話

米子祇園道院の森崎です。

少林寺拳法に限らず稽古事になると「教える側」と「習う側」という立場の違いができます。

一般に師匠と弟子の関係、つまり「師弟関係」と言うのが出来上がります。この「師弟関係」について考えてみたいと思います。

ところで、僕には何人もの師匠がいます。実際に所属した道院の道院長はもとより、様々な法縁により出会い僕の方から一方的に師匠と仰いでいる先生もあります。その師匠達は技術のみならず人間的にも大変魅了的で尊敬できる方々なのです。もっとも、その先生方は僕から師と仰がれているなんて事はご存じないと思いますが…。

一方で弟子はどうでしょうか?

僕が道院長を務める米子祇園道院には少ないながらも門下生がいます。皆忙しいながらも何年も共に修練に励んでいます。一般的に言うと彼らは僕の「弟子」という事になるのでしょう。

しかし、僕は彼らを「弟子」とは思っていません。彼らは少林寺拳法師家から預かり、たまたま米子祇園道院に所属している「門下生」であると考えています。
自分自身も「師匠」などと呼ばれるような域には全然達してないと自覚していますから(笑)

「師匠」とは単に「教えてくれる先生」という意味のほかに「自分が到達したい目標」という意味もあると思います。そこには当然尊敬の念も含まれています。

一方「弟子」には「弟(妹も含む)や子供に接する様に愛情を持って指導する」という意味が含まれていると思います。
先程、道院所属の門下生を弟子とは思っていないと述べましたが、そうは言ってもこのように接する事を常に意識しています。また道院の門下生だけでなく連盟本部合宿で指導する大学生拳士や武専の学生に対しても同様に思っています。仮に彼らが僕のことを「師匠」と思っていてくれたら幸いだなぁと思います。

僕は「師匠」と「弟子」の関係は一方通行でも良いのではないかと思いますが、幸いにも両思いとなれば、それはそれは強い信頼関係が出来上がると思います。

昨年はスポーツ界の指導者による様々な問題が話題に上がりました。そこには両者の信頼関係がなく「支配関係」があるように感じました。それではいつか関係は破綻するでしょう。

少林寺拳法の組織でも各種のハラスメントの撲滅に向けて取り組んでいます。まずは指導する側の意識を改革して、より良い信頼関係が構築できるように心掛けたい物です。