「強さ」とは「しなやかさ」なり

WEB法話

米子祇園道院、道院長の森崎です

ちょっとイメージしてみてください

雪深い山の中。大木にはずっしりと雪が積もっています。
やがて太い枝は雪の重さに耐え切れずにボキリと折れてしまいました。
その傍らにある柳の木は、枝をしなやかにしならせて雪を落とし、折れることはありませんでした。

これはブルース・リーの未完の遺作となった「死亡的遊戯」のオープニングとして構想していたシーンなのだそうです。
ちなみに「死亡的遊戯」は一般に知られているロバート・クローズ監督の「死亡遊戯」というウ〇コみたいな映画と違い、ブルース・リーの哲学が色濃く反映されていてる非常に興味深い作品になったようです。完成版を観ることが出来ないのが残念です。
ちなみに、2001年に現存するフィルムを編集して「ブルース・リー・イン G.O.D 死亡的遊戯」として公開されています。
レンタルでも出ていると思うので興味のある方は是非ご覧下さい。

本題に戻ります。

上記の作品の中で彼自身が語っている台詞からブルース・リーは強さとは変幻自在なしなやかさにあると考えていたようです。

私自身もかつては「強さ」というと「タフで屈強」というイメージを持っていました。
少林寺拳法では心の強さを大切にします。
心の強さとは、決して折れる事のない「不撓不屈の精神力」にあると考えていました。
確かに決して折れる事のない強靭な精神力を身に着けることが出来れば素晴らしいのですが、実際はどうでしょうか?

失敗や挫折などで心がポキンポキンと折れてしまう事など決して珍しい事ではないはずなのです。
私なんかどれだけ折れてきたことか…(苦笑)

そこで大切なことは心が折れた状態にいつまでもとらわれないで気持ちを切り替える心のしなやかさだと思います。
冒頭の柳の枝のように、心が折れる前にしなやかに苦労をかわすことが出来れば尚良いですね。

しなやかに行きましょう。

そういえば、「物事にとらわれない、執着しない」というのは釈尊の大切な教えでもありました。
繋がるねぇ(笑)