「人生苦しくって当たり前」という考え

WEB法話

米子祗園道院、道院長の森崎です。

私が少林寺拳法にから学んで良かったと思えることは沢山あるのですが、その中でもとりわけ良かったと思えることは釈尊の教えに出会ったことでしょう。
「釈尊の教え」というと「仏教」ということになる訳ですが、現在日本に存在する多くの仏教宗派、教団とは分けて考えたいのでここでは「釈尊の教え」と表記します。

さて、「何で武道である少林寺拳法から釈尊の教えを学んだのか?」という疑問が当然出てくると思います。
詳しくは改めて述べるとしますが、少林寺拳法というのは武道やスポーツとは別に「金剛禅」という禅宗の修行方法という側面もあります。
金剛禅について」にも書いているように金剛禅は「釈尊の教えを現代に生かす」という教えを根本においています。
そんな訳で道院で修行をしている拳士は「釈尊の教え」も勉強するのです。

で、本題の「釈尊の教え」ですが、ものすごく簡単に説明すると「生きづらい人生をいかに生きやすくするか」という教えだと言えると思います。

その教えの大前提になるのが「人生苦しくって当たり前」ということ。

なんとも身もふたもなく、お先真っ暗な話のようにも思えます。
「人生は明るくて素晴らしいものだ」と考えたほうがハッピーなような気がします。

でも、私はこの「人生苦しくって当たり前」という考えはかえって救いになるんじゃないのかと考えています。

確かに人生というのは自分の思い通りに行かないことの方が多いものです。
私なんか、もう、あれやこれや…
そんな時に「人生はハッピーで明るいもの」という前提があると「なのに何で自分はこんなに上手く行かないのか」と考えて、より一層苦しむ事になります。
また、物事が上手くいったら、それが当たり前として感動も少ないかもしれません。

一方で「そもそも人生は苦しくって当たり前、思い通りにならないもの」という前提で考えると「上手くいかなくて当たり前、ダメでもともとなら上手くいくように努力してみよう」という考えになると思います。
そして上手くいくことがあれば、感動もひとしおですし、上手くいった事に感謝することも出来ます。
そっちの方が逆にハッピーだと思いませんか?

あ、「どうせ上手くいかないのだから努力なんかしても無駄無駄」という考えは無しの方向で(笑)

「人生苦しくって当たり前」という考え方を知り、私はある意味で開き直って、前向きに生きる力が付いたように思います。