信仰のありかた

2018年1月15日WEB法話信仰,金剛禅

新年あけましておめでとうございます

米子祗園道院では1月5日に稽古始めを行い、今年の修練がスタートしました。

ところで皆さんは初詣には出かけられましたか?
私は近所の氏神様と実家のある米子の勝田神社に詣でて来ました。
近所の神社は元日の午前中にもかかわらず人影はまばらでしたが、2日に詣でた勝田神社は参拝者の行列が参道入り口の鳥居の前まで続く程の賑わいでした。
各地の有名な寺社は初詣の参拝者が何万人という単位で訪れているという事はニュースでも紹介されているところです。

宗教学者の島田裕巳の著者「本人の信仰 (扶桑社新書)」によると海外では無宗教化が進んでいるのに対して、沢山の人々が初詣の様な「宗教活動」をしている日本は特に先進国の中では珍しい国なのだそうです。

特にオウム真理教の一連の事件以来「宗教」という言葉には警戒心さえ抱いてしまう風潮があるのに、これは意外な事だと思いました。

島田裕巳氏によると日本人は宗教という言葉を聞くと社会を騒がせたいくつかの新宗教の団体を思い浮かべ、神道や仏教などの既存宗教を宗教と感じない傾向にあるとの事ですが、確かにそんな感じはありますね。

なぜ「新宗教」にはマイナスイメージがあるのでしょうか?
それは強引な勧誘や、「信じないと良くない事が起きる」などと言う脅迫や、洗脳によって信仰を強要されると言うイメージが強いからなのだと思います。

信仰とはとても個人的な問題なので、その在り方について他人がとやかく言う問題ではないのかも知れませんが、少なくとも外部から無理矢理に押し付けられるものでは無いはずです。

私は信仰とは、「自分自身の人生を前向きに生きる原動力となり、かつ周囲の人にも良い影響を当たれる事が出来るもの」と考えています。
そして、「押し付けられるものでは無く、周囲の影響により自然にいつのまにか染み付くもの」だと考えています。