指導法について 〜誰が主役なのかを考える
今回は少林寺拳法の指導、中でも技術指導をする上での指導者としての心構えについて考えてみます。
進級したり、昇格したりして今まで「指導をされていた立場」から、逆に「指導をする立場」になり、何をどうしたら良いのか分からず途方に暮れている拳士の皆さんには参考になる内容だと思います。
僕は道院長として、学生指導員として、山陰武専講師として、それ以前も道院の幹部として様々な場面で少林寺拳法の指導をしてきました。
ありがたいことに指導者としての場数を数多く踏むことができました。
学生指導員として参加した大学少林寺拳法部連盟本部合宿でのアンケートでは僕の指導に対して「丁寧で分かり易かった」「楽しかった」と言う評価をもらっていますし、他の指導員の先生から「教え方が上手いですね」と言って頂いた事もあるので、それなりの指導は出来ているんじゃないかと思っています。
そんな僕でも指導する立場になったばかりの頃はまさに「何をどうしたら良いか分からずに途方に暮れる」状態でした。
初めの頃は自分がかつて指導されて来た通りに指導をしていました。
それでも手探りをしながら指導をする中で数多くの失敗もして来ました。
例えば
- 認識不足から間違ったことを教えていたり…
- 威圧的に振る舞ってみたり…
- 自信がなくてシドロモドロになってしまったり…
思い出したら自己嫌悪に陥りそうなのでこれくらいにしておきます。
「なんとかうまく教えられるようになりたい」と考えた僕は、武専や各種の講習会で指導を受けた時にその時の指導者の指導法をよく観察して自分の指導に活かすように心がけました。
良いと思ったことはマネをする。
良くないと思ったことはマネをしない。
と言う単純な所から始まって
なぜその指導方法が良いと思ったのか
または良くないと思ったのか
を自分なりに分析して自分の指導に反映させるように心がけました。
指導を受ける側の視点から観察したのが良かったのか、徐々に指導している拳士の反応も良くなり、指導することにも少しずつ自信を持てるようになりました。
今回の記事では僕が指導者として試行錯誤を繰り返して来てたどり着いた「指導をする上で特に心がけていること」を述べていきます。
指導する上での心がけ 大原則=「指導される側が主役である」
「指導者は相手を上達させてなんぼ」と言うことです。
これは当たり前といえば当たり前のことなのですが、自分自身を振り返ってみても指導する立場になるとついつい「自分」が前に出てしまうことがあります。
どう言うことかと言うと
- 指導されている側よりも自分の方が技がうまく出来ていることに悦に入ってしまう
- 「なんで出来ないんだ」と出来ないことを責めてしまう。
- 自分のやり方を押し付けて相手のやり方を否定してしまう。
などなど…
さらにエスカレートすると相手を絶えず自分のコントロール下に置こうとする場合もあるようです。
近年、少林寺拳法グループでは指導者による各種のハラスメントの撲滅に力を注いでいます。
いわゆるハラスメントの根底には指導者の「自分」が大きくなりすぎて相手をコントロール下に置こうとする心理があるのではないかと僕は考えています。
話題が逸れてしまいましたが、こんなことになると指導されている側は途端にシラけてしまったり不愉快な気持ちになってしまうものです。
そして信頼関係を築くこともできず指導者の言葉に聞く耳を持たなくなるようになります。
仮に盲信的に、あるいは依存的に従う者があって上達を果たせたとしても「自己確立」を謳う少林寺拳法の人づくりの理念からは大きく逸脱した姿となってしまいます。
僕は「指導される側が主役である」と言う大前提を忘れずに指導をするとこのようなミスを回避できるんじゃないかと考えています。
前述の例から考えてみると
- 優れた技を見せた上で目標を持たせる言葉をかける
- なんで出来ないのかを一緒に考える
- 相手のやり方を尊重した上で、よりうまくいく方法をアドバイスする
指導される側からすると「自分を認めてくれている、尊重してくれる」と感じられ、信頼関係を築くことができるようになります。
「指導される側が主役である」と言う考えは、指導者が相手に「媚びる」と言う事ではなくて「歩み寄る」「寄り添う」と言いう考えです。
この考えを忘れずに指導をすると、少なくとも大きな失敗はないと思います。
まとめ
指導法についての記事を書こうと思いあれこれ考えてみましたが、今回は具体的な方法よりも大前提としての心構えを示してみました。
実際に僕が指導を受けて感銘を受けた指導者の多くは「指導される側が主役」で「なんとか上達させたい、伝えたい」と言う気持ちが伝わって来る指導をされていました。
逆に「自分」が前に出過ぎている指導者からは正直言って不愉快な思いをさせられたこともあります。
気をつけてはいてもついつい「自分」が頭をもたげてしまうことがあります。「今回の指導はどうだったろうか」と絶えず自己点検を心がけています。
具体的にな指導方法については、また改めて記事にしてみようと思います。
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